閑話雑題って何?
暇なときにするよもやま話ってところでしょうか。
造語です。
な〜んとなく思いついたことやふと考えること、ちょっとした出来事などを
たたみと関係あろうがなかろうが書いていこうと思います。
当然不定期です。
飽きたらやめるくらいのいい加減なものです。
人の意見も多少は参考にしますが、あくまで個人的見解です。
まとまりのない内容になることも多々あるかと思います。
批判やご意見は一切受け付けませんのでご容赦願います。



エコ

エコについては数年前、
すでに閉鎖されてしまったブログにも書いたような気がします。
その時のことを少しだけ思い出しながら、
最近思うことも加味して書いてみます。

エコとは、
エコロジーまたはエコノミーの略の和製英語
エコロジー(ecology)・・・生態学または環境に優しい
エコノミー(economy)・・・経済またはコストが安いこと
(Wikipediaより)

エコという言葉をよく耳にするようになってから久しいですが
エコロジーとエコノミーが密接に絡み合って、
地球環境を考えるみたいな壮大な話になっていますね。
最近エコというと必ずといっていいほど出てくるキーワードは
地球温暖化、温室効果ガス、循環型社会、再生可能エネルギーなどなど
一種のブームみたいな状態です。
こういうキーワードは政治的に利用される一方で
民間企業は宣伝文句のど真ん中に据えているように見えます。
行政の施策には必然的に利権が絡みます。
税収にも大きな影響を与えますから
エコという言葉を中心に様々な思惑が渦巻いているようにも見えます。
例えばクルマを例にとれば、エコカーなんて言葉が作られ
減税を含めた行政施策の元、企業がそれを強く押し出し
多くのユーザーはまるで踊らされているようです。
エコカーって本当にエコなの?という本質論は二の次です。
住宅を例にとれば、エネルギー効率を高々と掲げ
やはり優遇制度を含めた行政施策の元
企業は高気密化と空気の強制循環を併せ持つような
住宅を大々的に宣伝しています。
これって本当のエコなんでしょうか?
エコカーやエコ住宅が良いとか悪いとかの話じゃなくて
行政や企業が消費者に対して上から与えるという構造は
エコの本質を考える機会が奪われているように思えます。
地球温暖化やリサイクルに対して、その原因や効用について
疑問視する学者も多く存在するようですが
そういう意見は目立つ形では伝わってきません。
どうやらエコはエコロジーより、行政に都合の良い
エコノミーが優先されているように見えます。

江戸時代について研究している学者たちによれば
江戸庶民の生活は究極のリサイクル社会だったそうです。
暮らしの中で排出されるものは何でも回収し
徹底的に使い回して最終的に土に戻すみたいな。
ほとんどの消費物資が植物由来だからこそできたことですね。
壊れたものはそう簡単に捨てないから
いろいろな修理屋さんがあったらしいです。
時代劇に出てくる浪人武士の傘貼りもその一つとか。
江戸は当時世界的な人口密集地だったようなので
生活リズムや住環境は今と全く違うでしょうし
モノがあふれている現代と違いモノは大事にしないと
生活そのものが立ち行かなかったでしょう。
宵越しの金は待たないのが江戸の粋のように言われますが
持たないのではなく持てないのが実情だったそうです。
強がりこそが粋だったのでしょうね。
それでもなんでも仕事になった時代で
日銭を稼ぐのに困ることはないので
当時としては当たり前の生活がちゃんとできたそうです。
時代が明治になり世の中は徐々に変わっていきますが
人の心はそう簡単には変わりません。
こういう気質は庶民の間で息づいていたと考えるのが自然です。
江戸(東京)の町が大きく変わったのは
関東大震災と第二次世界大戦の二度にわたり
町が壊滅したのが大きな理由でしょう。
復興のためには物質に頼らざるを得ません。
産業技術もすでに近代化していた時期ですから
苦しい時期を過ぎると十分な供給が徐々に始まります。
欧米の豊かな暮らしをうらやましいと思えば一気に加速します。
通信技術が発達すれば国民すべてに情報が行きわたり
全国的規模で生活レベル意識の均一化が進みます。
こうなると当たり前だった江戸の暮らしはもはや貧しいものと捉えられ、
豊かな暮らしのために一生懸命働き、消費し、蓄え
モノがあふれる時代へとつながってきたのでしょう。

こうして振り返ると、江戸は究極のエコ社会だったと捉えることができそうですが
江戸の人たちがエコを考えて暮らしていたとは思えません。
そういう生活が当たり前だっただけです。
文化は豊かな暮らしの中で育まれるといわれます。
江戸時代は平和なときが数百年と続いたので、
当時の感覚としては十分豊かだったと思います。
だからこそ庶民文化が花開いた時代です。
ただ、当たり前のことはその段階で文化とは認識されません。
日本が先進国と呼ばれ物質的に豊かになって
文化や学問が育まれる一端で、初めて環境への関心が湧いてきました。
発展のために汚してしまった空、海、川、土を何とかしなきゃいけないと。
環境意識と技術が進んできたタイミングでエコという言葉が出てきました。
旗印があると行動は起こしやすいです、キャッチコピーみたいなものですね。
さてさて、これからエコという言葉はどう利用されていくでしょう。
少なくともエコがエゴにならないことだけは祈りたいです。

モノや情報に頼る生活が豊かになりすぎると
我慢するとかもったいないと思うことが当たり前ではなくなります。
数百年先までの豊かな生活を考えて今エコを考えることが大切!
そんな風に聞こえてくるような気がしますが
二律背反を克服する決定打ってあるのでしょうかね。
江戸時代の生活には戻れません。
ただ、前を向くことだけが大事だとは思いません。
時には立ち止まり、振り返り、将来のために後戻りする勇気も必要だと思います。



令和元年 7月 記



情報化社会

「情報化社会」ってすでに死語ですかね。
マスメディアが一般社会生活に浸透して、様々な情報から取捨選択が可能になり
発信者だけでなく受け取り手側にも良識が求められるようになった
昭和の時代に生まれた言葉だと思います。
今では情報そのものが産業となり、高度情報化社会と呼ばれていますね。
インターネット、さらにはスマホの普及で、もはや情報過多社会とも言えそうです。
様々な情報が手に入るのは悪いことではないと思いますが
内容の見極めはますます難しくなってきているように感じます。

SNSが普及して誰もが情報発信者になりうる時代になり
マスメディアのニュースソースが個人のSNS投稿なことも日常茶飯事です。
マスメディアが世論形成に大きな役割を持つのは否定できませんが
今やSNSで広まった一部の世論がマスメディアを動かしている時代です。
匿名性が高いSNSですが、映像が与えるインパクトは
リアルタイムがゆえに事後取材を完全に凌駕します。
最近特に話題になっているあおり運転ですが
おそらく今に始まったことではないはずですが
動画投稿をもとにTV等で大々的に報道されています。
パワハラやセクハラもよく話題に上ります。
ハラスメントは被害者感情が判断基準になるそうです。
昔はOKだったけど今はコンプライアンスの観点からNGです。
なんてしゃべっている芸能人をよく目にしますが
ハラスメントは今も昔ももちろんだめです。
あおり運転ももちろんだめですが、きっかけは多分些細なことでしょう。
このような情報は注意喚起という意味では確かに有意義なのでしょうが
自分でも理由はよくわからないのですが、報道の在り方になぜか釈然としないものを感じます。
個人間もしくは個人と組織や社会との関係性が昔とは変わったということでしょうか。

少子高齢化が進み団塊世代が後期高齢者になるころには
若い世代の負担がますます増えるであろうといわれています。
政治の世界では年金、介護問題の対極で子育て世代に手厚い施策も論じられていますが
少子化以前に未婚率があまり論じられないのはなぜでしょう。
個人の思想信条に立ち入るのは悪いことということなんでしょうかね。
ほんの少し昔まで年頃になったら結婚するのが当たり前と思われていました。
親戚や近所の世話焼きおばさんはすでに絶滅危惧種のようです。
結婚したい人はマッチングサイトのような情報産業に任せ
結婚しないのは個人の自由です、で片付けるのでしょうか。
少子化の根本解決にはなりませんね。

ご近所の情報通だった理美容院や個人商店もめっきり減りました。
SNSは本質が昔の井戸端会議、うわさ話によく似ていると思います。
一番の違いは匿名性に加え拡散の範囲とスピードですね。
あっという間に広がるとうわさが事実のようにとらえられてしまいます。
嘘か誠かの判断は後回しになります。
異を唱える人がいても流されてしまいます。
ある意味怖い世の中です。
子供の将来就きたい職業にユーチューバーがランキングされるのも怖いです。
今の時代、情報が産業として成り立つのは理解できますが
本来、情報はモノ作りをサポートするためのものであったはずで
情報自体がモノとしてとらえられるのはちょっと違うような気がします。
気軽なエンターテインメントと捉え、誰でも簡単に楽しめることは悪くないと思いますが
フォロワーを増やす(時には収入を増やす)ために違法な迷惑行為を
自ら投稿するような輩が後を絶たないのもSNSが持つ弊害ですね。

2019年に香港で大規模な暴動事件が起きました。
政府の施策に反対する市民のデモ行動がきっかけだったようですが
この事件で大きな役割を果たしているのがSNSだそうです。
昔は革命につながるような大規模な市民運動には必ずカリスマ的なリーダーがいましたが
特定のリーダー無しでも強い集団心理を生み出してしまうのがSNSが持つ一面です。
多数の情報発信者がいることで拡散が早い反面
収束のためのゴールは時を待つしかなかったようにも思います。

令和2年は新型コロナウィルスに翻弄された年になりました。
情報は過多な部分と足りない部分、常に相反して存在します
何を信じ、何を基準に行動すればよいのか一人一人が真剣に考えなけらばならない
あらためてそんな風に感じる昨今です。



令和2年11月 記



畳の選び方


すこしくらい畳屋らしい畳屋ならではのことも書いてみましょう。(笑)

これから家を建てる人が和室あるいは畳敷きスペースを作ろうと決めたとき
大抵の場合はどんな畳を入れようかを考えると思います。
新築に限らずある程度大掛かりなリフォーム工事の場合も
施主であるお客様は様々な要望を直接畳工事施工業者に伝えるのではなく
工務店や設計事務所あるいはリフォーム業者に伝えることになります。
とはいってもメーカー製の設備機器や住宅建材と違い
畳にはカタログ等、施主が直接目にできる資料がほとんどありません。
住宅展示場や関連雑誌、ネット上の情報等で得られるイメージが
お客様の畳に関する要望のもとになるかと思いますが
住宅施工業者が持つ畳に関しての情報は案外あまり詳しくはなく表面的です。
お客様自身が畳に対して要望をお持ちの時は事前にきちんと伝えましょう。

さて、ではどんな畳?を決める要素は何でしょうか。

・大きさと厚み
これは通常建物の設計段階で決まってしまいます。
6畳間にするか8畳間にするか等、部屋の間取りが決まっていたとしても
同じ畳数でも構造上の問題や収納その他の兼ね合いで部屋の大きさは異なります。
畳は部屋全体の寸法を測ったうえで枚数に割り付け製作しますのが
部屋の寸法が決まった時点で一枚の畳の大体の大きさも決まります。
同様に畳の厚みも設計段階で決まります。
例えば関東間標準サイズで厚みが55ミリの畳が欲しいといったように
畳のサイズに関する具体的な要望がある場合は実現可能かどうかは別にして
設計前段階でそれを建築業者に伝える必要があります。
畳の大きさや厚みは部屋ができた後では変更できないからです。
また、厚みによって選択できる材料が限られることがあります。
青表を使用する本格的な縁無畳が欲しいというような場合は
畳の厚みは最低55ミリ必要になります。
厚みが30ミリに満たないような場合は畳床や畳表の選択肢に制限があります。

・畳の敷き方
縁付きの畳を標準の敷き方にすればよいのか、
あるいは縁無の畳を半畳で市松敷きにしたいのか等々
同じ部屋でも使う畳の敷き方にはいくつかの選択肢があります。
施主の要望が伝わっていればそれに沿って設計者の意志を反映しつつ
時には畳工事施工者のアドバイスも考慮して決められます。

・使用材料
もっとも予算的制約を受ける部分です。
大抵の場合、施主側から建築業者に伝えるのは縁無畳にしてほしいとか
提示された見本から畳縁を選択するくらいで
使用材料までを指定することは稀ですが
使用材料にこだわりのあるお客様は予算の事前確認をお勧めします。


ここまで、どんな畳?を決める根拠を書きましたが
最後に近年設計を含む建築業者さんが良く使う『スタイロ畳』という言葉について考察してみます。

畳の芯材である畳床ですが、昔は稲わらで出来ているのが当たり前でした。
ところが近年、様々な事情で稲わら畳床がめっきり少なくなりました。
稲わら畳床を使った畳のことを「本畳」と呼ぶ建築業者さんもいらっしゃるようですが
昔ながらのという意味ではあながち間違いではないのですが
本物、偽物というニュアンスからすれば非常に違和感があります。
稲わら畳床に代わり近年もっとも普及しているのは建材畳床です。
中でも最も多く出回っているのが建材V型と呼ばれるタイプで
木質系繊維を成型した畳ボードでポリスチレンフォームボードをサンドイッチしたものです。
このポリスチレンフォームボードの中で最もポピュラーなものがスタイロフォームボードです。
スタイロフォームはダウ加工から社名変更したデュポン・スタイロ社の製品ですが
このスタイロフォームを使用した畳の総称を「スタイロ畳」といいます。
使用の仕方には組み合わされる部材によっていくつか種類があります。
稲わらでサンドしたAタイプ、ベニヤ等の補強材と組み合わせたCタイプ、
建材畳ボードと組み合わせたGU、GVタイプ等です。
厚みが45mm以上で最も普及している建材V型畳床を使った畳はスタイロ畳GVタイプです。
つまり、スタイロ畳という呼称だけでは畳材料としての畳床の種類を特定できません。
ちょっと複雑ですがJIS規格では製品である畳と材料である畳床とでは別枠になっています。
民間の一般的な仕事ではJIS規格による分類を使うことは滅多にありませんが
すくなくとも「スタイロ畳」という呼称は畳の種類を特定するためには不十分です。
畳を構成する部材は畳床、畳表、畳縁が主なものですが
特定したそれぞれの部材を組み合わせて畳の種類が特定されます。
日常的に畳屋が使い、畳の種類を特定するために必要な畳床の分類は
稲わら床、スタイロサンドイッチ稲わら床、畳ボードサンドイッチ稲わら床、
建材T型床、建材U型床、建材V型床
スタイロCタイプ床
大体こんなところです。
それぞれ異なる特徴を持ちますが、あわせもつ特徴が懸案された結果
最も普及してきたのがスタイロ畳の一種、建材V型畳床といえるでしょう。
また、近年増えつつある厚み30ミリに満たない畳に使う畳床は
強度上の問題もあり使える部材は限定されます。



令和3年 2月 記



尺 度

尺度とは、
1 物の長さを測る道具。ものさし。  2 長さ。寸法。  3 計量の標準。また、判断・評価などの基準。
というのが主な意味です。
今回は物の大きさ(広さ・面積)の尺度についてちょっとした一考察を。

商品やアイテムの紹介画像でそのサイズ感を分かりやすくするため
身近で馴染みのあるものを一緒に並べて対比表示するということがよくあります。
タバコだったりスマホとか350ml缶、A4用紙なんてこともあるようです。
ちょっとしたスペースを表現するのに「握りこぶし何個分」なんていうのもよく見かけます。
広大な土地や施設の面積をイメージさせるのによく使われるのが「東京ドーム何個分」、
高さだと「東京タワーの何倍」、膨大な距離だと「地球何周分」とかもありますね。

そんな中で、昔に比べいくらか少なくなったかもしれませんがよく使われるのが「畳何枚分」という表現。
不動産物件の顧客向け図面でも部屋の大きさは「u」表記より「約何畳(帖)」表記のほうが多いような気がします。
昔から畳に親しんできた日本人独特の面積尺度ですね。
uで言われるより具体的な広さのイメージがわきやすい表現です。
日常的に日本人の身に沁みついているスペースの感覚ですから
和室が少なくなった現在でも部屋の広さを表すには最適なのだと思います。

毎年、横浜市では技能職団体連絡協議会主催で小学生を対象に体験教室を催します。
そこに集まった子供たちに「自宅に畳の部屋がある人?」と聞くと
手を挙げる子供は全体の1/3以下くらいになっているのが実情です。
二世代世帯だとおそらく30代後半から40代が世帯主でしょう。
じいちゃん、ばあちゃんの家には畳があるけど自分の家には畳がないという子供が多くなっています。
親世代が子供のころは畳の部屋で生活したことがあったとしても
生まれてから一度も畳の部屋で暮らしたことがない子供たちが親世代になったとき
はたして「畳何枚分」という尺度が一般的であり続けられるのか
世の中的にはどうでもよいことかもしれませんが
「畳は日本独特の伝統文化」という観点からすると
というか、畳にかかわる仕事をする身としては悲しい未来が透けてくるようで残念です。
少なくとも部屋の広さをイメージすのに「何畳」より分かりやすい表記はいまのところ無さそうですが
身近なものが特別なものへ変わっていくのは決して珍しいことではないのかもしれません。



令和4年 9月 記